セックスに介入する他者

セックスは本来二人のものであるはずなのに、そこに前付き合っていた人や、今現在好きな人が介入してくることがある。

  • 付き合いはじめるまでにどういう事を考えたか
  • 最初はどんな事をしていたのか
  • やがてどういう事をするようになったのか
  • セックスがどんな風に変化して、それと同時に人生がどのように変化したのか

文字通り何でも話せる間柄にならないとできない事だけど、性的遍歴をしゃべる女の子そのものが淫猥で情緒的で好きだ。
別に夜、ベッドにいる必要はない。お寺にいっている時でも、旅行にいっている時でも、お茶をしている時でも、どんな時でもいい。
「まるで自分自身というのは、自分自身の過去で、それをすべて話す事がすべてをさらすこと」
僕はそういう風にはどうしても思えない。
秘密がある事が魅力的だとも思わない。
大抵は隠せる程度のつまらない事実が見つかるだけだ。
女の子が過去のセックスを話す時、目をみつめている時も、見ていない時もあるけど、恥ずかしそうに下を向いて話す彼女を見ているのは、楽しい時間だ。
過去を聞いているうちに、楽しい体験ではなく、嫌な思い出もしゃべるようになる事がある。
本当にびっくりするのは、痴漢、レイプ、堕胎、暴力的なセックス多さだ。
僕がそういう子を好きになる事が多いからかもしれないけど、ほとんどの子が性的に男性から何か嫌な思いをうけている。
そういう時、僕は「生きててよかったね」とか「つらかったね」ぐらいしか言えないんだけど、つらい気持をどんな形でも言えるというのは、過去の清算、もしくは、理性の再構築につながる。
ここからは僕が勝手に思ってる事なんだけど、男やセックスや社会に対する価値観は変わっていくけど、ある所で「対立する概念を上の概念で理解する」という事が起きる。
例えば煙草に関して、始めは嫌いな人のほうが多いだろう。でも煙草を好きな人を好きになって、その匂いを好きになったり、別れて嫌いになったりを繰り返しているうちに、好き嫌いはその時点で変わるという事に気付く。すると好き、嫌いにそれほど振りまわされなくなる。といった事。
暴力も浮気も、全部受け入れられる人がいたときに女の子は人間として成長出来る。
現代の女性が弱い社会で、それが元気になれる唯一の方法じゃないか? なんて思ったりする。
盲目的に好きになるという事が好きになる、って事じゃない。過去を話すことで、僕自身も彼女の中で客観的なものになってしまう事もあるだろうけど、それはそれで仕方ないと思う。
体験した事は体験した事で、その子がどういう子かは分かるけど、今からどうなっていくのかは分からない。